🎸”蔦音次郎”のギタ・キチ・日記

気まぐれギター演奏の日記を書いて更新して行きます。

ゴチャッペ🎸音次郎の懐かしの音声をYouTubeで再生。

≪ギター仲間との出会い≫
ここに当時の中学3年生に私が教えていた貴重な音声
(カセットテープ)が有りましたので聴いて下さい。
「ラリアーネ祭り」を教えている音声です。
そのカセットを更にICレコーダーに吹き替え、
YOU-TUBEに非公開設定として作りましたが、
今回非公開共有設定でBlogに貼り付けましたので聴いて見て下さい。
ここでは録音の一部分のみを載せてます。
若い青春時代の声で教えてます。
私、音次郎のインチキ先生が中学生に「ラリアーネ祭り」の演奏を教えています。
音次郎の若き日の肉声が入ってます。(笑って下さい。)
インチキ・ゴチャッペ先生の指導は厳しいよ❣ 

この教えた中学生の男子は、その後ラリアーネ祭りのテーマのみ弾けるようになりました。
この少年は今どうしているだろうか・・・気になります・・・

大立ギタラ音楽教室のバッチ👆


   👆👆
大立 晃先生と鈴江先生&アニード女史👇

当時の教室試奏会での演奏です。👇 門下生試奏会で演奏する音次郎です。

当時(1969年)のギター教室は
横浜市神奈川区を第1教室の本室に第2~第5教室まで構えていました。
私は第1教室に通ってレッスンを受けていた訳です。
週1回のレッスンでした。 大立先生と娘先生で各教室を賄っていたのだと思います。
ある時、大立先生が体調を悪くしたみたいで先生が私に
「チョット頼みがあるんだけど」と言う事で先生の話を聞いてみたら,驚いたことに
生徒が私に「第2教室の生徒を少しの間だけ見て貰いたい」と言う話でした。
「先生!それは出来ませんよ!」
「ここの生徒は皆、初等科で、曲を弾ける生徒はいないから大丈夫だから・・」
教える立場で無いのに私の様な生徒が生徒に教えるなんて??と思いながら了承しました。
先生の理由は当然、体調を崩して蒲田まで通えないのでお願いした訳です。
第2教室は東京大田区の西糀谷に有りました。
週1回会社の帰り際に京急蒲田駅で降りて羽田線で糀谷駅まで行くのです。
幸いに勤めていた会社が平和島近くで京急平和島~蒲田~羽田線で糀谷駅まで・・ 
初めてこの教室へ行った時は、生徒から歓迎を受けて驚きましたね。
事前に先生から連絡がされていたようで、気楽に接してくれました。
生徒は8人程で、全員がギターを始めて数ヶ月ぐらいの人達です。
小倉 俊著の初等科ギターテキストを教材に、ゴチャッペ乍、
自分は教師的役目が果たせたのでした。
この当時で私は21歳ぐらいだったと思います。
約3ヶ月程、第2教室に通い、 更に自分のレッスンを受ける為、
別の日には第1教室へ通って鈴江先生のレッスンを受けていました。


いつの日かギター教室案内の生徒募集パンフレットに代教(代教)として
自分の名前が載っているではないですか!・・これには驚きましたね。
「先生、このパンフレットなんですかぁ?」
「あ!これ、・・気にしないでぇ」だってぇ・・これ代理教師ですよぉ~
今じゃ思い出話だけど記念にこのパンフレット今でも家に有ります。
 代理教師として名前が載ってしまいました。(青で字隠し)
当時のギター教室案内書です。👇

当時の教授料金表:1969年頃の教室の月謝代でした。👇




この事により、人に教える事の楽しさを覚えてしまいました。
職場でギターサークルを作る事にしたのです。
度胸も当時は有ったので会社でギターを演奏して、
ギターの楽しさを知って貰いたかったのです。
皆が知っている≪禁じられた遊び≫で仲間を引寄せました。
これが大成功で職場の仲間が我も我もと「ギターを教えてくれ!」でしたネ。
社員仲間5人にギターを教えて何とか簡単な曲が弾けるようになったのです。
≪ドナドナ≫≪パサカリエ≫≪ジャニーギター≫≪桜≫
などを重奏で下手ながら皆で楽しんだわけです。
社長もソロで弾く≪マリア・ルイサ≫の曲が気に入って、「この曲いいねぇ~」と
社長を前に昼休みを利用してギターを演奏しました。
「ギター仲間の社員皆を連れてコンサートーに行ってきなさい」
社員ギター仲間を連れて浜松町で開催されていたチケットを買って、
ドイツのギタリスト:ジーク・フリート・ベーレントのコンサートを聴きに行きました。
このサークル2年で熱が冷めてしまいましたけど・・・(笑い)


22歳~24歳頃は私の住まいの近所の子供にもギターを教えた事が有るんです。
先生では無いので、遊び心で教えていたのです。(ボランティアのようなものです)
家でギターを弾いていたら、隣の奥さんが「うちの子供に教えて下さい」
と言う事で 中学3年生の男の子にギターを教えてやりました。
その後、近所で口利きなのか? 更に小学生と高校生の女子にギターを教えてやりました。
大きくなったら専門のギター教室へ通うように進めました。
当時、横浜と言えども町から外れた場所は、近所にギター教室は有りませんでしたね。
バスと電車の乗り継ぎで教室に通わなければなりません。
小学生や中学生はギター教室通いは難しかったのです。
・・・・


これが切っ掛けで人に教える楽しみを知ったのですねぇ~・・


まぁ~こんな時代も有りましたよ・・


26歳で横浜から北関東へ引っ越しすることになった。


横浜には中学時代の仲間や高校時代の仲間、そして会社の仲間がいて遊びまわった。


横浜を離れるのはチョット寂しかったですね。

ゴチャッペ🎸コンサート その4.

               


会場:ゴチャッペ会館小ホール 無料 ミニミニあまちゃんの発表会
プログラム🎸 (ヴィラ・ロボス作品~)
1.エチュード11番
2.前奏曲1番
エチュード11番は’2000に開かれたギター発表会
(宇都宮文化会館)の音声を挿入しました。


この動画はギターの遊びですので気楽に楽しんでいただければ幸いです。
尚、この動画はYOU-TUBE非公開共有設定です。