🎸”蔦音次郎”のギタ・キチ・日記

気まぐれギター演奏の日記を書いて更新して行きます。

今日は弟の命日です。

弟がこの世を去って、何年経ったのか・・
66年も経過した。5才の幼年期にこの世を去ったのです。
今日が命日です。(’1954.昭和二十九年一月三十一日没)
元気で育っていれば、
今、兄弟として私もまた違った生き方になっていたかも・・
66年前に遡ると、亡くなる数日間の病院の弟の様子が目に浮かぶ・・
亡くなる数日の間は大雪で途轍もない寒さであったと記憶する。
病室の曇った窓を手で撫で拭くと、窓から冷たい雪が降っていた。
当時の病室は隙間だらけの木造作り。
なんとも陰気な病室だと感じる。
昔は病室も達磨ストーブを使っていた。
病室が乾燥しないように達磨ストーブに大きなやかんがのせられ、
そのやかんの口から湯気をあげていた。
両親や爺ちゃん婆ちゃんに何度も歩いて弟の病院に通った記憶がある。
入院してから1週間、病状が急変して医師も手当てを施したが、
その甲斐なく、雪の日にこの世を去ってしまいました。
悲しい出来事です。
弟は私の3歳下です。
両親は悲しみ、その後は、なかなか癒える事なく、
生活が一変してしまった時期が有りましたね。
親父は仕事もせず、酒に溺れて崩れるとこまで崩れてしまった気がする。
母親は悲しみの中、何とか幼い私を育て上げなければならない。
質屋に着物を流して、お金にして少しでも食い繋ぐ生活の日々。
必死で働いて食い繫いでいたのです。
あれから歳月が過ぎ、私は鍵っ子で学生時代を育ってきてしまった。


今日はそんな日ですが、ブログ記事として取り上げてみました。
昔は写真は写真屋さんが撮るぐらいで、弟の写真は殆ど見当たらない。
そして、私自身が幼かったので弟と遊んだ記憶は思い出せない。
一緒に遊んでいたのだろうが記憶に収まっていないのです。
幼稚園の集合写真

    ☝◎印は弟と後ろにお婆ちゃん                    ☝〇印は私 

貴重な家族写真・父・母・弟・私 多摩川遊園地と思われる。



Kleine Romanze ( L.Walker) video-75.
もし弟が元気で生きていたら、一緒にギターを弾いていたでしょう・・
二重奏で楽しんでいたかもね・・
天国の弟に「小さなロマンス」を捧げます。

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