🎸”蔦音次郎”のギタ・キチ・日記

気まぐれギター演奏の日記を書いて更新して行きます。

音次郎物語ー21 新たな第一歩です。


Variations sur L’air (Mozart~F.Sor)op.9 魔笛主題と変奏曲


音次郎物語ー21話は1963年に遡ります。


中学生の時代から、いよいよ社会人としての第一歩の始まり・・
中卒だからと言って恥じることはない!
真面目に働いて、皆から親しまれ、明るく元気に強く生きる事!
そんな気持ちで、会社員として就職した。
大企業はあえて、面接で落ちる事が分かっていたから最初から諦めていた。
面接で聞かれる事は、ある程度の質問内容を察していたからだ。
大企業の面接で聞かれるのが家族構成とか家庭環境だと思ったからです。
零細企業の小さな会社でも‥と思い、伯母の知り合いの紹介で入社した。
零細企業は詳しく面接で突っ込まない利点がある。
造船会社の船舶電気部品の製造工場だった。
設計課で図面のトレースをする仕事に就いた。
最初は図面をコピーする仕事をさせられたのです。
昔はコピーはリコピーとかいう青焼きです。
そしてトレースも仕事として教わりました。
トレースは習いたてはコンパスで円を描くも、
大きな穴が開いてましたが、その内に上手く円を描けるようになった。
図面のトレースも上達し、墨入れの図面も書くようになり、
図面も丁寧でやっとトレースから設計をする様に力を付けました。
設定は大手船舶会社の電気回路の結線図を元に、
配電ボックスと端子、ブレーカーなどの配置図面を描きます。
そして最後に描かれた完成図面の重量計算して、承認を得ます。
船舶の電気系統の会社ですので、他に海図灯、とか信号灯など書かされました。
(設計課でドラフターにて図面を書いてます👇)

 

小さな会社の全従業員との慰安旅行(伊香保温泉にて)


学校は定時制夜間学校に通いました。
工業高校で機械科と電気科が有り、私は機械科に進みました。
会社がPM5:00で終わるので、それから夜間学校へ通います。
授業は3時間でPM:900までだったと思います。
全日制は3年間ですが定時制は4年間です。
定時制の生徒の年齢はマチマチです。
(定時制高校時代のクラス仲間)

(南房総富津と鋸山にて・・)

夜学高校でも、色んな催しが有りました。
テアトル東京で映画を学校主催で行ったり、会社勤めの終わった後での映画見です。
夜間の計画はキツイ!
伊豆の大島三原山への旅行へも行きました。
晴海埠頭から船で夜中の21頃出発!・・この日は台風が近づいていたようで、
海は大荒れ、生徒はみんな船酔いでゲェ~ゲェ~もどしてましたヨ!
寝る場所も無く辛い思いをしましたね。大島に朝方4時頃に港に着いた。
観光バスで三原山の噴火口まで行ったが、早朝の霧で見通しが悪かった。
後はバスで下って、直ぐ帰りの船・・「なんだぁ~疲れに行っただけ・・」
流石に帰りも船で具合が悪くなりましたね・・
其れから学校の行事は参加しないようにしました。
夜間学校はスケジュールがハードで疲れます。


六国峠 高校時代の仲間

森戸海岸

 

高校時代は派手に遊びました。
色気が付く年頃、学友同士で日曜日は横浜駅でナンパしていた時代です。
この時が絶好調の青春だった気がします。
青春時代はヨコハマのナンパ師です。(笑い)

今回で音次郎物語を最終回にしようとBlogを書いたのだが、全部書き切れなかった・・
次回は少し悲しい出来事の話です。
人生とは、・・山と谷を登ったり下ったりですね・・・

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