🎸”蔦音次郎”のギタ・キチ・日記

気まぐれギター演奏の日記を書いて更新して行きます。

懐かしいCB無線機をYOU-TUBEで見ました。

古い話だが、私、音次郎も10代の若き日にCB無線にハマっちゃいました。
友達に最初、「トランシーバごっこ遊び」
ハンディタイプのトランシーバーで遊んだのが始まりです。
中学3年生ぐらいかと思います。
それも裕福な友達が持っていた2台のトランシーバーを借りてのお遊びからです。
これが楽しくて、自分も無線機が欲しくてたまらなかったのです。
当時、新聞配達で朝刊と夕刊をやって、
何とか貯めたお金でSONY製のCB500を買って遊びました。

こんなイメージではなかったか? (CB500)トランシーバー

サイクリング自転車のハンドル前に
CB500を設置できるアルミ製の枠まで作って、
横浜、鶴見川のサイクリングコースで無線電波を飛ばしていましたね。・・
ある時ローカルの見知らぬ人とコンタクトが出来て、
その方とドッキングをした訳です。
そのドッキングされた方はCB無線の神様と言われるほど名の知れた方だと、
あと後で分かりました。
その方、実は私の家の近くに住んでいた大地主の主人です。
その方の家に遊びに行き、とうとう無線の仲間入りした次第。
「横濱、いや、関東で、この人のサブコールを知らない人は
CB無線のモグリと言われるほど名が通っている方です」
そのCB無線で使用しているサブコールは「スカイボーイ」です。
「スカイボーイを知らない人はいない!」有名人でしたね。
スカイボーイの部屋は無線機だらけと配線が畳の上を這いずってましたね。
テスター、半田コテ、なんせ部屋中、コードだらけでした。
それと一升瓶の日本酒やウヰスキーが、いつもそばに置いて有ります。
そのスカイボーイと知り合い、
CB無線に夢中になってNASAの真空管式の無線機を
我が家の固定ロケーションにしました。

NASAの真空管式の無線機はこんなイメージか?・・
屋根にグランドプレーンを設置して派手にコンタクトをしていたら
近所からクレーム続発! 深夜の活動になりましたね。

下手な絵ですが、GP設置したイメージです。
このアンテナGP いつ倒れるか心配でした。
当時、CB無線ではテン・フォー・テン・テンの無線用語を使っていましたね。
アマチュア無線では了解を「ラージャー」とか言いますが、
CBでは、「テン・フォー」とか言ってましたね。
相手を指出す時は、「ハローCQ.CQ・・」とか言って、
自分のコールを言って相手を誘います。
交信の終わる時は「テン・テン」とか言って、終了致します。
CB無線交信は子供のお遊びみたいで幼稚に思えますが、
実は大の大人が楽しんでいるのです。
無線交信は始めてしまうと、実に楽しいですね。

TVで緊急指令10-4・10-10と云う円谷プロダクションの番組がありました。

この時代にCBは盛んだったと思います。
スカイボーイの仲間になってY.H.Cの会員となりました。
Y.H.Cは横浜ハンティングクラブの意味だったと思います。
CB無線では私は「横浜かるめん」と云うコール名を使っていました。
Eスポ現象とかで北海道や沖縄から電波が届いた事が有りましたね。
普段でも横濱固定ロケーションから飛ばして箱根タンパイク、筑波山山頂、
千葉県南房総などと交信してQSLカード交換を楽しんだ思い出が有ります。
無線クラブ仲間と富士五合目辺りまで
モービル無線を楽しんだりした思い出が有ります。

この様なモービル用CB無線機だったかなぁ~


まぁ~固定用の真空管の場合は飛びましたねぇ~・・
近所で「テレビが見れない!」と叱られる!
クレームもあり、電波法に引っ掛る事を恐れて、
無線の趣味は18歳の時に辞めました。
アマチュア無線を薦められましたが、きっぱり諦め、辞めた次第です。
今思うと、CB無線も仲間が増えて楽しい遊びでしたねぇ・・
迷惑も掛けましたが・・


現在では携帯やスマホやスカイプなどの交信手段が簡単にできるので、
無線をやっている人は減少したのでは・・と思っていたが、
YOU-TUBEの動画でまだ盛んに無線は盛り上がっていますねぇ・・
CB無線は本当に懐かしい・・若ければ、また始めたかもね!

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