🎸”蔦音次郎”のギタ・キチ・日記

気まぐれギター演奏の日記を書いて更新して行きます。

横浜の歌を再びリブログ・・コロナに負けるな!

オギャーと生まれて26年間過ごした横浜、
この横浜は本当に大好きなところです。
横浜駅のナンパ師なんて思われるくらい、
横浜駅とその周辺を仲間とまぁ~遊びましたねぇ・・
悪いことはしていませんよ!(笑い)

大磯ロングビーチにて・・(中学生頃かな??)

写真は山下公園です。 

18歳頃、山下公園から氷川丸

     
この綺麗な女性はモデルさんです。仲間とナンパ?・・仕掛け人

この横浜を離れる事になったのが26歳の時です。(’1975頃かな?)
大立ギター教室もここでお別れです。 学友ともお別れです。

大立ギターの門下生との親睦(長瀞にて)


北関東の栃木県なんて行ったこともないところへ引っ越すのですから・・
不安も有りました。


この栃木は車が無いと過ごせない場所でしたね。
それを知って横浜で事前に車の免許を取りましたよ。
引っ越しして直ぐに社宅に入って、中古のギャラン車を買いました。
横浜から見ると、ぁあ、~田舎だな~と感じましたね。 
とんでもない場所だ!と不便さもあった。


社宅に入って直ぐさま、会社出勤です。
ここも最初は会社の送迎バスを利用した。


自動車免許も初心者で、この土地の様子も分からない・・、
ただただ田んぼや畑が目に付きます。

この時代はカーナビはないから、車で走るも地図頼りでしたね。
先ずは自分の住んでいる社宅近辺の周辺から土地を覚えるしか有りませんでした。
1年位は、運転が初心者で遠乗り運転は怖くて出来ませんでしたね。
会社の新しい顔ぶれに徐々に慣れて、仕事、遊び、と付き合うようになったのです。


ここで趣味のギターが挫折したのだ!
会社の仲間はギターに興味が無く、誰も話に乗ってくれる人はいませんでしたねぇ~
ましてクラシックギターと聞いただけでソッポを向けられる始末。


どうも、この栃木はギター趣味の人は少ないようだと思いましたね。
・・残念でした。


しかし右も左も分からない所に来たのだから、
会社仲間と上手く付き合うしかなかったのです。


社宅に住むと、酒飲みの誘いがきます。 
毎週のように誘いが来るんですよ。・・
酒は嫌いじゃないから、それにお付き合いする日々が続きましたね。


好きなギターはスッカリ忘れたように消えてしまいましたヨ!
栃木と言えば鹿沼のさつき盆栽で有名です。
社宅でもさつき盆栽が流行って、私もさつき盆栽に凝ってしまった次第です。


まぁ~土地が変われば人間まで変わっちゃいましたよ。‥(笑い)


約20年間、ギターを辞めちゃいましたね。・・
それでもギターは弾きたい気持ちは有りましたから、
独りでコソコソ、自己流で弾いてましたけど・・


ギター教室は私の地域には見つかりませんでしたね。
この約20年のギター挫折は大きかったですね。



なんせ横浜好きでした。
横浜開港記念日が6月に開かれるが、今年もコロナでどうなるのか・・???
今年はコロナ感染防止でガイドラインに沿って6月2日に開催されるようです。
但し5,000名の人数制限で事前申し込みをするようです。
ちなみに横浜開港162周年になります。
家に籠ってでも、ストレス解消で歌って踊っちゃいましょう・・


それでは「よこはまアラメヤ音頭」を踊ります。
練習して踊れますかぁ・・


横浜市歌 ポップスバージョン 歌詞・ダンス付き(by 横浜純情小町☆)


横浜市歌の歌詞 (作詞:森鴎外)       
☟の歌詞を解り易く読み取ると・・☟この様な読み取りとなります。
わが日の本は島国よ       わたしたちの日本は島国です
朝日かがよう海に        朝日が輝く海に
連りそばだつ島々なれば     連なりたつ島々ですので
あらゆる国より舟こそ通え    あらゆる国から船がやってきます



されば港の数多かれど      日本には港の数は多いですが
この横浜にまさるあらめや    この横浜に勝るところはありません
むかし思えば とま屋の煙    昔のことを思うと、漁師の小屋から煙が
ちらりほらりと立てりしところ  ちらほら立ち上がるだけだったのに



今はもも舟もも千舟       今は幾千幾万もの船が横浜港にやってきます
泊るところぞ見よや       停泊する姿を見てごらんなさい
果なく栄えて行くらんみ代を   これからますます栄えて行くであろう時代を
飾る宝も入りくる港       象徴する港です



ここに歌われる歌は横浜市歌として、市民に親しまれている歌です。
「よこはまアラメヤ音頭」と「浜っ娘音頭」なんて、踊りが作られて、
毎年、港祭りは賑わっているようで・・最大の盛り上がりです。
アラメヤとは・・?意味を知っていますかぁ~・・?
港では「この横浜にまさるところはありません」と歌っています。
歌詞では「この横浜にまさるあらめや」・・この歌いまわしのところです。



横浜港の開港50周年記念祝祭 1909年(明治42年)にて披露されて以来、
市民に歌い継がれています。
この歌、小学校時代、中学時代、と学校で歌わされてきた歌で、
歌詞は今も忘れていません。
作詞は森林太郎(森鴎外)、
作曲は、当時東京音楽学校の助教授だった南能衛(よしえ)氏です。
森鴎外は小説「舞姫」「雁」「山椒大夫」「高瀬舟」で 知られていますね。
この森鴎外が横浜市歌の歌詞を作ったとは、意外に意外・・
歌詞も良ければ作曲も、お見事! 横浜で育った人は全員歌っています。



現在も市立の小学校では、校歌とともに歌唱指導されています。
開港記念日(6月2日)や卒業式、
市大会などの行事で、演奏・斉唱されています。



音次郎、開港100年祭の時にも100年祭の歌がありましたね。
開港100年祭の時は小学六年生でした。
100年祭は、お婆さんと,港祭りのパレードを見に行きましたよ・・
横浜開港は1859年(安政6年)で今年は162年になるのかな?・・・


横浜カルメンと名乗る蔦音次郎、・・
吉田町の御先祖様、蔦音の末裔なんて大袈裟だけど・・
今じゃァ、文無しの音次郎と言ったところです。(笑い)・・

 

 ☝昭和初期~昭和20年頃の写真と思われる横浜吉田町の蔦音(海苔問屋)
お爺さんは、海苔問屋で蔦音の屋号、火災で仮営業所の写真の様です。


古い親戚として蔦亀、蔦金と海苔問屋があります。
曾祖父の時代に遡り、
音次郎
亀次郎
金次郎
が海苔問屋を営んでいたと聞いています。
今では古い遠い親戚で付き合いは御座いませんが、
後々に知ったのですが、人気タレントの出川哲さんが
私の祖父と出川哲さんの祖父は先祖を遡ると従兄弟らしき出どころの様でした。
出川哲さんの兄が現在も蔦金屋号で海苔商店を営んでいます。
ですからお寺も同じお寺です。それは墓参りで確認いたしました。
出川哲さんのテレビ番組、なかなか面白いですねぇ~・・
祖父の時代までは、蔦金、蔦亀海苔店とは
親戚としてのお付き合いはしていたようです。



横浜生まれの浜っ子育ち、浜弁は「じゃん」を語尾に付ける。
浜っ子は「~じゃん」「そうじゃん」「そうじゃんかよ~」と
「ジャン語」で喋る!


浜っ子、音次郎、今じゃァ、トチ弁の「そうだんべー」となっちゃいました。
語尾は「ベー語」です。(笑い)

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