🎸”蔦音次郎”のギタ・キチ・日記

気まぐれギター演奏の日記を書いて更新して行きます。

音次郎物語・14 ~港横浜朝が来る~

小学校6年生だったと思うが、学校の音楽の時間です。
この音楽担当の先生は、音楽に関しては厳しく教える雷先生でした。
顔も音楽家丸出しの顔をしていましたよ!
丁度、横浜開港100年祭の時期で、学校で100年祭を記念した歌を練習されました。
歌の歌詞は「百年~百年開いて百年~・・港ヨコハマ~朝が来る~」
こんな歌詞で歌われさせられた。
これが何度も繰り返し歌の指導をするのです。
調子外れに歌う生徒は容赦なく癇癪玉を飛ばす先生でした。
ヨコハマと言えば横浜の代表する歌に「横浜市歌」が有ります。
この歌こそ、学校生徒全員で屋外グランドで歌わされ絶対忘れない歌です。
明治42年に作られた歌で作詞は有名な森鴎外なんです。
(YouTube~聴いてみましょう・・ポップスバージョンでお楽しみに・・・)

横浜市歌 ポップスバージョン 歌詞・ダンス付き(by 横浜純情小町☆)
現代では、このように横浜市の歌もバージョンアップで
「アラメヤ音頭」で盛り上がってますね。
開港百年祭の時は、お婆ちゃんに連れられ、このお祭りの催しを見に行きました。
鶴見から他に出たことのない音次郎・・この時ばかりは嬉しかったですよ・・・
桜木町で降りて横浜公園、山下公園、桟橋、中華街と歩いた、歩いた❣
馬車道の沿道は人の山でした。
パレードが長い列で通るのだが、人の山で肝心のパレードが見えないのです。
お婆ちゃんが何とかパレードを見せてやろうと、
人混みを割って前へ出ようとするが、押し返される有様です。
ビルの入り口の10段位の階段に登ろうとしたが、これもダメ!
結局、この場所を諦め、また人の少ない場所を探すあり様でしたね。
なんとか短い時間でしたが、お婆ちゃんは前へ前へと進み、
微かな隙から沿道のパレードを見せてくれました。

 

(ヨコハマ港まつりパレード、仮装行列などで賑わう)借り物写真はイメージです


なんだかんだと歩き、帰りに伊勢佐木町に寄って、
その隣の吉田町まで行きました。
その時にお婆ちゃんが「昔ここに住んでいたんだよ!」と教えてくれたのです。
この時はまだ、空き地状態でしたが蔵がそっくり残っていました。
家は空襲で焼けてしまったようだが蔵は残って立っていました。
横浜開港100年祭は準備万端で盛大に行われたんです。
小学校で何度も100年祭の歌を何度も歌わされたのも分かります。
歌の上手い人を抜粋してお祭りで歌わされたようです。
私は選ばれなかったですネ。(音痴か?・・歌が下手か?・・だね⁉)


横浜市歌の歌詞 (作詞:森鴎外)       
☟の歌詞を解り易く読み取ると・・☟この様な読み取りとなります。
わが日の本は島国よ       わたしたちの日本は島国です
朝日かがよう海に        朝日が輝く海に
連りそばだつ島々なれば     連なりたつ島々ですので
あらゆる国より舟こそ通え    あらゆる国から船がやってきます


されば港の数多かれど      日本には港の数は多いですが
この横浜にまさるあらめや    この横浜に勝るところはありません
むかし思えば とま屋の煙    昔のことを思うと、漁師の小屋から煙が
ちらりほらりと立てりしところ  ちらほら立ち上がるだけだったのに


今はもも舟もも千舟       今は幾千幾万もの船が横浜港にやってきます
泊るところぞ見よや       停泊する姿を見てごらんなさい
果なく栄えて行くらんみ代を   これからますます栄えて行くであろう時代を
飾る宝も入りくる港       象徴する港です


ここに歌われる歌は横浜市歌として、市民に親しまれている歌です。
「よこはまアラメヤ音頭」と「浜っ娘音頭」なんて、踊りが作られて、
毎年、夏祭りは賑わっているようで・・最大の盛り上がりです。
アラメヤとは・・?意味を知っていますかぁ~・・?
港では「この横浜にまさるところはありません」と歌っています。
歌詞では「この横浜にまさるあらめや」←この歌いまわしのところです。


横浜港の開港50周年記念祝祭 1909年(明治42年)にて披露されて以来、
市民に歌い継がれています。
この歌、小学校時代、中学時代、と学校で歌わされてきた歌で、
歌詞は今も忘れていません。
作詞は森林太郎(森鴎外)、
作曲は、当時東京音楽学校の助教授だった南能衛(よしえ)氏です。
森鴎外は小説「舞姫」「雁」「山椒大夫」「高瀬舟」で 知られていますね。
この森鴎外が横浜市歌の歌詞を作ったとは、意外に意外・・
歌詞も良ければ作曲も、お見事! 横浜で育った人は全員歌っています。


「浜っ子の出身地は?」と聞かれたら「神奈川県出身だよ」とは言わない! 
浜っ子・浜っ娘(ハマッコ)は横浜の「ヨコハマの出身です」と言うのです。


現在も市立の小学校では、校歌とともに歌唱指導されています。
開港記念日(6月2日)他、卒業式、市大会などの行事で、演奏・斉唱されています。


横浜開港は1859年(安政6年)で今年は162年になります。


蔦音次郎、今年こそは、港祭りに行ってみたいと願いつつ・・毎年計画倒れです!
横浜カルメンと名乗る蔦音次郎、・・
吉田町の御先祖様、蔦音の末裔なんて大袈裟だ!
今じゃァ、文無しの音次郎と言ったところです。(笑い)・・

山下公園の氷川丸をバックにモデルさんを写したものです。


横浜生まれの浜っ子育ち、浜弁は「じゃん」を語尾に付ける。
浜っ子は「~じゃん」「そうじゃん」「そうじゃんかよ~」と
「ジャン語」で喋る!
浜っ子、音次郎、今じゃァ、トチ弁の「そうだんべー」となっちゃいました。
語尾は「ベー語」です。(笑い)


末吉小学校卒業  
☟アルバムより、音次郎は✍【清き正しい心】と【夢と希望】で寄せ書きしました。

寄せ書きは二つ書いてありました。
生徒の寄せ書きを見ると「夢」「正シイ」「心」「キ望」「ジン生」の活字が多く、
楽しかった想い出を綴った寄せ書きは少ないです。
将来を思ってこの時代の背景を表しているように思えます。


次回の音次郎物語は、そろそろ大詰めに入り中学生時代を少し語りたいと思います。
長々と読んで頂き有難うございます。



⁂話は変わるが小学校時代で見た児童映画「しいのみ学園」
椎の実の歌です。懐かしいでしょ!
そしてこの映画「しいのみ学園」小学校で観た’1955製作の児童映画です。
この歌は、忘れられない記憶に残っている歌です。
団塊世代の人は皆さん学校で、この映画を見て、
この歌が今でも頭の中にインプットされていると思います。


映画を見て涙が流れる素敵な内容です。
そして≪しいのみの歌≫を口ずさんで歌ってみて下さい。
歌詞を載せてみました。


   「しいのみ学園」の歌
  作詞 西 葉子
  作曲 齋藤一郎


🎶1)ぼくらは しいのみ まあるい しいのみ
 お池に 落ちて 泳ごうよ
 お手てに 落ちて 逃げようよ
 お窓に 落ちて たたこうよ たたこうよ


🎶2)ぼくらは しいのみ 小さな しいのみ
 小鳥に 落ちて 飛びたいな
 お舟に 落ちて 乗りたいな
 こぶたに 落ちて 跳ねたいな 跳ねたいな


🎶3)みんなは しいのみ 元気な しいのみ
 お風に 揺れて 歌おうよ
 お庭で ころころ 遊ぼうよ
 みんな 仲良く 遊ぼうよ 遊ぼうよ


児童映画は当時は学校の教室とか講堂で、窓に黒いカーテンを敷いて、
生徒に定期的に映画を観させました。
小学生から中学生まで学校で映画を見せてましたね。
幼稚園では幻燈とか言う、紙芝居の様なものでした。
昔の児童映画は泣かせる感動的な映画を教育の一環として
生徒に見せていましたね。
トランペット少年、バイオリン弾きの少女、我は海の子、など、
どれも感動的な映画です。
この様な古い映画フィルム、テレビでも放映しません!
YOU-TUBEの映画「しいのみ学園」がアップされていましたが、
現在は消去されて無いようです。
昭和生まれの団塊世代の皆様へ・・・
この歌、聞き覚え有りませんか?☟

02) 三歳 が 人生の勝負どころ しいのみ学園 曻知三郎 博士 声の図書館 第1巻

×

非ログインユーザーとして返信する