🎸”蔦音次郎”のギタ・キチ・日記

気まぐれギター演奏の日記を書いて更新して行きます。

音次郎物語-11. 忠犬エスに癒されて・・

音楽を聴き乍、読む物語です。全部読んでねぇ~・・・

ヘンデルの調子の良い鍛冶屋による変奏曲 video-87.
従姉と母の写真でスライド動画を作りました。(昭和初期の写真)


エス(S)と呼ぶ犬は雑種犬乍、毛並みが良く、利口で可愛い犬でした。
貧乏していましたから、エスの写真が無いのが残念です。
このエスは私が小学1年生の頃からお爺さんが飼っていました。
(イメージ写真:この借り物の犬がエスに似ています。)

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忠犬ハチ公の様に利口なんです。
エスは雌犬でした。子犬を何回か産みましたよ・・
バラック小屋(住まい)の縁の下で子犬を産むんです。
一度に5匹とか6匹ぐらい産むんです。
モクモクした毛並みの可愛い子犬を産むもんで、
近所の人達が子犬を喜んで、引き取りに来ます。
聞き分けのよい犬で、人間の犬に話す言葉を理解していました。
私はいつも愛犬エスと遊んでいました。
昔の事だから、エスは放し飼いです。
首輪と鎖で繋ぐことはしていませんでした。
車も走っていない場所で飼っていたので、事故も無かったですね。
子供に悪さをする犬ではなかったのです。おとなしくしてました。
悪い人、良い人を見分ける能力も有りましたよ!
怪しい人とかは必ず吠えます。飼い主が制止するまでは、攻撃姿勢で吠えます。
人相でも見分けているみたいでした。
顔見知りの人は、尾っぽを振って笑い顔をするんです。犬の笑い顔ってあるんです。
特に子供達はどんな子でも尾っぽを振っていましたネ。
・・爺ちゃん婆ちゃんと一緒に風呂屋へ行く時もエスも一緒に付いてきます。
「待て!」と言うと風呂屋の前で外に出てくるまでエスはお座りして待ってます。
「帰れ!」というと家までエスは帰ります。
帰っても必ず途中迄エスは迎えに来るのです。
お風呂屋さんは家から約2.5km先に有りました。(馬場~三つ池入口)
お爺さんは東寺尾で露店の商売をしていました。
(馬場~東寺尾迄バス停3つ目。約3k)
仕事が終わるとエスは必ず、お爺さんを途中まで迎えに行くのです。

当時のイメージ地図を描いてみました。


忠犬ハチ公みたいですね。
学校から帰る途中でエスが迎えに来ます。
何故、帰りを見分けられるのか?・・鼻が利くのか?・・不思議に感じましたネ。
お爺さんは、ある時期に犬小屋を作ってくれました。
しかしエスは犬小屋より、縁の下の住み家が好きみたいでした。
小さい時からエスは東寺尾の下駄屋の店も来ていたので、
エスも音次郎の気持ちまで知り尽くしていたように思えます。
弟が亡くなって、一人っ子になった音次郎・・心は寂しかったのかも知れません。
いつもエスは音次郎の傍にいて癒された気持ちになってました。


やがてエスにも寿命が訪れてきます。
悲しい出来事でした。
小学6年生頃にエスは亡くなったのです。
いつも一緒に過ごしたエス。
何歳まで生きたか?‥恐らく8年か9年ぐらいの寿命だったのではと推測する。
このエスの死は、お婆ちゃんは毒饅頭を畑で食べたと言っていた。
子供の頃の私は、毒饅頭の話は信じましたよ!
エスのお腹は大きく膨れていました。「これは・・なんだ?」・・と言っていた。
周りの人も毒饅頭を食べたと言うんです。
お百姓さんが畑を荒らされないように毒饅頭を置いていると言う話です。
今考えると、あれは毒饅頭で死んだのではなく、フィラリアで死んだのだと思います。
雑木林で蚊が昼も夜もいますから、蚊に刺されてフィラリアに侵され死んだものと思う。
昔の事だから、そんなフィラリア予防薬なんて犬に飲ましていない。
まして縁の下でエスも寝ていたのだから・・これはフィラリアです。


エスの埋葬では不思議な事がありました。
エスを埋葬する為、家から100m離れた雑木林に
暗くなってから、エスをリヤカー荷台に乗せて爺さんと音次郎で運びました。
お爺さんと私でエスをリヤカーから降ろすとき、
爺さんがエスの頭側、私がエスのお尻側を同時に持ち上げた時、
エスが「ク~ン」と泣いたのです。
流石に爺さんも私も驚きましたよ・・・エスの最後の別れの挨拶でした。
流石に私も泣けましたね・・・


今日はそんな忠犬エスのお話でした。
現在は犬はいませんが、12年前まで柴犬と約13年飼って一緒に過ごしていました。
この柴犬、豆柴ですが、いずれ写真と共に記事を書いてみたいと思います。
次回の音次郎物語12話は「夏は金魚屋さん、冬は焼き芋屋さん」のお話です。

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