🎸”蔦音次郎”のギタ・キチ・日記

気まぐれギター演奏の日記を書いて更新して行きます。

音次郎物語‐13 焼き芋屋とリヤカー


Sissel Kyrkjebø - Solveigs sang by Edvard Grieg - 1993


ジワジワと寒さが厳しくなる、今日この頃です。
風邪を曳かない様に、注意しましょう・・
今年もインフルエンザのワクチンも打ちました。
インフルエンザの注射の後は、来年の春ごろまでには、またコロナ・ワクチン!
そして、私は肺炎球菌が5年経過したから,実費で来年はワクチン打つ予定です。
身体の中は3つのワクチンで喧嘩してないのか?・・と心配・・
期間を開けて注射するので問題は無いと思うが・・・
肺炎球菌の注射はいつまでも腕が痛いんだよね!・・あの注射は嫌いだ!
今は皆さんがマスクしているから、インフルエンザとか風邪曳も少ないかも知れない。
でも安心は出来ない!・・常に予防には万全な状態にしておきましょう・・
寒くなると、焼き芋が食べたくなりませんかぁ~・・・
今は人間自体が贅沢になったから焼き芋なんて食べないかなぁ~?・・


それでは音次郎物語13話を語りましょう・・・
「過去形の話なんて聞きたくないよ!」と思うが、
ただ「こういう時代も有ったんだぁ~」と思って読んで下さいなぁ~
私も若くないから将来の話とか、未来の夢の話なんて語れません!
もし語れるのなら、来世のあの世の話になっちゃうから・・これじぁ~陰気臭いよね!
其処迄ヨボヨボでは有りません!・・私、音次郎10年若返らせています。
シニアのBLOGに今にも、くたばりそうな話を書いているBLOGが有りますが
先が無い話は読んでいても辛く、陰気で嫌になる。
人間死ぬときは、死ぬのだから今を大事に明るく楽しく生きようよ! 


直ぐ話がズレてしまう・・
約1960年代に遡りますが、
末吉小学生の学校の帰りにお爺ちゃんの仕事場に寄る話は前回も話しましたね。・・
この露店をしている東寺尾の町は、転校前の友達が大勢いました。
その仲間と会う目的も有って、お爺さんの仕事場に寄るのです。
夏は金魚、冬は焼き芋を露店で売っていました。
壺やき芋と呼ばれるものです。

(写真は借り物イメージです。壺焼き芋)
土台に七輪を置い、その七輪の上に壺を乗せて、壺の内縁に吊るし掛けが有り、
芋はS字の針金を芋に刺して、壺の吊るし掛けに芋を掛けて焼く方法です。
記憶だと、爺さんは先ず七輪の火を熾します。
火が熾きると、練炭か?・・コークスか?・・
次に芋を吊るして、芋を焼きます。
この焼き芋、当時では食べるものが少ないから近所のお客さん、買いに来てくれました。
子供たちも、この露店の横道で遊んでいるので、5円、10円で買いに来ます。
爺さんもサービスで余分に芋を子供たちに配ってました。
焼き芋は金時芋で、皆から美味しいと喜んで買いに来てくれます。

(金時芋のイメージ絵です)

天秤、重りを乗せて測り、値段を決めています。

 

(イラスト絵はイメージです。)


お客さんが来ない時は、当時の八百屋の空き木箱の上に腰を下ろし、
お爺ちゃんは本を読んでいました。
本は好きで、斜前の貸本屋から本を借りてきます。
「太閤記」は好きで何冊も読んでいましたね。
後は新聞のスポーツ記事で競輪の予想屋じゃぁないけど
赤と青の2色の色鉛筆で新聞に印を付けて楽しんでいた。
競輪は好きだったようですが、予想するのが面白かったようですね。
冬場の子供の遊びは馬乗りですねぇ・・
この横道で馬乗りをする為、仲間が集まるのです。
「子供は風のこ、大人は火のこ」この言葉通りです。
焼き芋の壺の周りに集まるのが大人なんです。
壺を囲んで壺に手を暖め、世間話の井戸端会議です。
夕方、壺焼き芋の閉店です。
七輪の火を消します。火の燃え屑は、水を掛けて完全に消します。
リヤカーに芋の入った藁袋を乗せます。燃焼材の残り(練炭?コークス?)を積みます。
売れ残りの焼き芋も、持ち帰ります。
最後に七輪と壺をリヤカーに乗せ、ロープで縛ります。

リヤカーのイメージ写真:借り物写真
火事にならない様に何度もお爺さんは火の元をチェックしていました。
公設市場で大好きな晩酌のおかず、鮪のブツ刺身を買って、
美味しい晩飯のおかずも買って、お婆ちゃんが待っています。
兎も角、寒い外で毎日商売するのですから、お爺さんは偉かった!
毎日、東寺尾から馬場までの2.5kmを荷を積んで働くのですから大変だったと思う。
音次郎も帰りは後ろからリヤカーを押して帰ります。

壺焼き芋の壺がほのかに暖かく、
手が冷たくなると壺に手を当てながらリヤカーを押した事は忘れられない。
馬場に近づくと、愛犬エスは何故気が付くのか知らないが、
必ず貯水池のバス停辺りで帰りを待って迎えに来ているのです。
リヤーカーを見てエスは尾っぽ振って、帰りを喜びます。
馬場のバス通りから右に入る小路は短い坂となっていて、
お爺さんは、この坂をリヤカーで曳く時は
「なんださか!こんなさか!」と独り言で坂を上りましたね。

(イラスト絵はイメージです。)
坂の途中で一歩バックする時があるんですよ・・
その時は、必ず戦争で婿養子が死んだ恨みと、
戦争をした日本の軍部のトップに怒りを表しているときでしたネ❕
その軍のトップ(戦犯)の名前まで言うくらいでしたので、よほど悔しかったのでしょう。


家に着くとお婆ちゃんが食事の用意です。
お爺さんは、お酒を美味しそうに飲みます。
「う~ん、・・今日のブツは実に脂がのって美味い!」と満足気の時も有ります。
食後は、いつもの如く、売上勘定です。ソロバンの音かカチカチ響きます。
お客が大勢来た時は、売上勘定は楽しかったのでしょう・・
お爺ちゃんニコニコしていたもんね・・・
お婆ちゃんは、外の寒いところで食べ終わった食器を洗っています。
水道が無いから、外のタライで食器を洗い、水を大切に使っていました。
音次郎も手伝います。冬は焼き芋の買った人への、焼き芋の入れる袋作りです。
お婆ちゃんに教わった折り紙方式で新聞を折って芋袋を作ります。

(イラスト絵はイメージです。)


次に焼き芋を吊るすS字型の針金の芋カスを取り除く作業です。
金ブラシでS字針金を磨きます。50本~は磨いてましたね。


これで明日の焼き芋屋の準備完了です。
バラック屋ですので冬は冬で隙間風の寒さで苦労します。
豆炭の小さなコタツに寄り添いながら生活してましたよ。

(イメージ絵です)

布団が敷かれると,従兄の兄さんが遊んでくれました。
兄は高校生ですが私とプロレスごっこをやっていましたよ。

(イメージ絵です)


次回は小学校6年生の修学旅行と横浜開港100年祭りなどを少し語りたい。
それでは、音次郎物語の13話はここまで・・・読んで頂き有難うございます。
(尚、イラストや写真は借り物を写真コピーでお借りしました)

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