🎸”蔦音次郎”のギタ・キチ・日記

気まぐれギター演奏の日記を書いて更新して行きます。

音次郎物語-4 今思えば昭和の時代が懐かしい・・


Always三丁目の夕日 video-114.
昭和の時代
古き良き時代・・貧しいながら、それでも昭和の時代は良かったぁ~と・・・
平成、令和の時代と違うのが昭和です。
何もない昭和の時代、移り変わる高度成長期に夢をかけて頑張った諸先輩達・・
みるみる世の中が変わりゆく時代に生きてきた若者たち。
子供の遊びも今と昔では大違いです。
それでは音次郎物語ー4話の始まりです。
横浜鶴見区で育った音次郎・・いよいよ小学校1年生です。
横浜市鶴見区東台小学校1年生としての入学式です。
母親と祖母に連れられ初めて小学校の門に入りました。
この時の学校は桜の花で満開だった。実に桜の花が綺麗に思えました。
(小学校1年生入学式後の写真:胸に大きなハンカチ名札です。)

小学生でも生意気にW牡丹の制服ですよ!(笑い)
私は今でも忘れられないのが育った東寺尾の町です。
5年前にこの町を歩きましたが、道路は昔と変わりなしでした。
(現状の東寺尾交差点で右折が綱島方面。左折が菊名方面です)


建物、商店などは大きく変化していました。
子供時代に遊んだ町は記憶に残っている。
どんな店まであったか、記憶だよりに絵で描いてみました。

昭和30年頃の東寺尾の町を下手な絵で書いてみました。上の写真がこの絵のYの字です。
どうですか?・・前回の物語ー3の下駄屋【蔦屋】我が店が描かれてます。
斜め前に酒屋が有ります。親父が昼間から通った酒屋です。
正面は公設市場が有りました。
この町の細かな小道は子供の遊び場でした。
車は当時では小道に侵入してこないので、子供達の安全な遊び場所だったのです。
其れだけ当時は車が少なかったと言う事です。
この当時から臨港バスが運行しています。
Yの字交差点で左折は西寺尾、内路行き、右折は綱島行です。
この時代のバスは鼻ぺちゃバスと親しまれ、女性のバスガイドで車内で切符販売です。
現在も臨港バスはこの2つの路線に走ってます。
以前Yahoo!BLOGを書いた時は臨港バス停の停留所毎に記事を書いたことが有ります。
大変な人気で読者の方に喜ばれました。
小学生となると遊びが今と異なります。
子供の時は大いに遊んでよいのです。
当時は外で遊んでも、多少危ない遊びでもフリーでした。
親も自由に遊ばせていましたね。
泥んこになろうが、擦り傷しようが、さほど心配はしていなかったと思います。
事件とか大きな事故もなかったですからね~・・・・
今と昔の違いですヨ・・今は怖くて外で自由に遊べないもんね!
子供のころは学年が上になれば遊び方は変わってゆきます。
小学生1~4年生は缶蹴り、縄跳び、石けり、鬼ごっこ、チャンバラ、メンコ、虫取り、
オタマジャクシ取り、他にもあるが、これが代表的な遊びでしょう・・

上級生になるとまた遊び方が違います。これは次回、少し書いてみましょう。
東寺尾では、近所の子供が集まり楽しく遊びましたね。
遊びでもとんでもない悪ガキがいました。
私の顔を剃刀で切られた事件が有りました。
これは親のしつけが悪いのか?・・・まだ小学1年生の時ですよ・・・
眼の下から口の付近まで顔を切られてしまいました。
剃刀を持たした親に責任がある!・・剃刀の管理状態が問題だ!
子供とはいえ、当時では大騒ぎ!
急いで病院で応急手当てを受けた。心配したのは両親と祖父母。
相手方の親がお詫びに来た事を覚えている。
その傷は26歳頃まで顔に薄っすらと残っていました。
東寺尾のお話、次回も続きます。

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