🎸”蔦音次郎”のギタ・キチ・日記

気まぐれギター演奏の日記を書いて更新して行きます。

音次郎物語-9.従兄姉の深い絆・弟の様に可愛がられた。


夜来香_山口淑子(李香蘭)


前回は下駄屋倒産した話でラーメン屋に鞍替えして、
店の前の病院にラーメンの出前をしていた話、
親父が結核に感染して、母までがうつされました。
子供(音次郎)がうつらないように祖父の家に引き取られた.・・そんな記事でした。
これから先、祖父母(お爺ちゃん、お婆ちゃん)との生活の始まりです。
チョッピリ、子供幼年期の音次郎の写真をお見せしましょう・・・

この写真、東寺尾の響き橋(メガネ橋)で撮られた写真です。
左の煙突は銭湯通いした建物です。(下地図参照)
右の女の子は従姉です。右2番目が私、音次郎です。
左の男の子と女の子は近所のお友達だったのでしょう・・・
音次郎はスカートなのか?半ズボンが回っているのか?分かりませんが,
だらしなさは子供のころからかなぁ~・・ 
この写真は写真屋さんが勝手に写して後日、写真を売りに来て母がお金で買ったそうです。
昔は戦後の混乱期が収まらない時期で
写真屋さんも写真を写して売りさばいていたそうです。



手前の口を尖がらしている音次郎と左は従姉です。今も、この姉さん元気です。
後ろの人は近所の遊び仲間だったのでしょう・・・
それでは音次郎物語ー9話の始まりです。
お爺さんのいる鶴見の馬場町の家で暮らすことになりました。
小学校は馬場から末吉までバス通学したり、歩いて通学する日も有りました。
お爺さんの家も立派な家ではなく、バラック屋敷です。
バス停留所から近い所に家が有り、狭い道路の雑木林で覆われた怖い道です。
家が5件あり、その奥に神明社と云う神社があります。
お爺さんの家に従兄が住んでいます。
お爺さんと、お婆さん,従兄と私の4人生活です。
従兄は歓迎して迎え入れてくれました。
母も親父の胸の病気がうつり、入院をしてました。
親戚の従兄姉は私とは非常に血縁関係が強いので、
従兄姉は私を弟同然に可愛がってくれます。
何故血縁が強いかと言うと、
伯母さんと母は姉と妹の関係です。
伯母の旦那と私の親父とは兄と弟と云う関係です。
即ち、同じ兄弟がお互いに婿養子として姉妹が一緒になったのです。
そんな訳で血の繋がりが深いのです。
伯母さんの主人は残念ながら戦争で戦地に到着する前に、敵の潜水艦に撃沈され
戦死しています。海での死ですから遺骨は有りません。
有るのは出兵前の形見の髪の毛のみが骨壺に収められているようです。
この戦死の知らせで、伯母も大変な苦労をしました。
伯母の子供は1男、3女です。これも子育てが大変で、
長男(従兄)を爺さんの家で暮らして世話をしています。
伯母の子供は入れ替わり立ち替わり、寝泊まりに馬場の家に来るのです。
爺ちゃん婆ちゃんは気持ちよく孫の面倒を見ていましたネ。
お爺さんは、貧乏しても絶対に昔を語らない人だったと聞いてます。
昔の裕福な時の生活の話をすると、娘でも叱ったと聞いてます。
戦争貧乏した事へのイラ立ちが有ったのでしょう・・
馬鹿な戦争でメチャクチャにされた事への怒りです。
お婆ちゃんでさえも、話が出来なかったと言う。
私も大人になってから、母から当時の事を少し聞いている。
・・・空襲で店から住まい、家財道具が燃えつくし消えてしまった。
不思議なのが、商売で庭先に有ったお稲荷さんが焼けないで残っていたようです。

昔の横浜吉田町記憶絵図~

この記憶絵図(ネットで探した借り物です)手書きで蔦音を示した箇所です。
地図の空白箇所まで土地が有り、海苔店の裏は住まいの別邸になっていたようだ。
木村コーヒーは現在のキーコーヒーです。木村珈琲店の娘さんと母は仲良し友達と聞く。



明治時代の長者町、吉田町の風景と思われます。(写真は借り物イメージ)


そして鶴見汐田町に持っていた50件の家作が全て空襲で燃え、焼け野原になったとか・・

終戦後の闇市(写真は借り物イメージ)


家もお金も無くなり、残った鶴見の家作跡地をタダ同然に売り払ったそうです。
売り払った土地のお金で、おぼん工場を始めたそうだ・・・
終戦後に海苔問屋は儲からないと知り合いから聞き、おぼん工場を薦められたそうだ。
小田原から桜の木材を仕入れて、桜の木のお皿やおぼん等を木工加工したようです。
これが大失敗に終わり工場は倒産に追い込まれ、完全に文無し状態になったようだ。
終戦後にお盆皿なんて買う人いるわけがないですよ・・・誰もが貧乏でしたから・・
自分の失敗に悔やまれ、吉田町から鶴見馬場に家族全員が引っ越しして、
バラック小屋での生活が始まったそうです。
この木で作られたお皿、私もバラック家で見ました。数枚木皿が残っていたんです。
しかし、お爺さんは生活の為、恥とかは捨て去り露店の仕事を始めたのです。
この露店については、私も、一緒にお爺さんの姿を子供の頃から見ているので分かります。
次回は音次郎物語ー10話はバラック小屋での生活した記憶を頼りに語ります。

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